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N銀当局のデフレ観は微妙に違っていた。
総裁のHは同じころ記者会見でこう述べている。
「物価の安定というのは、インフレでもデフレでもない状態のことであり、私どもとしては、そういう状態を一貫して目指していきたいという風に考えている。
その意味で『局面によっては、ある程度インフレにすることを目標にする方がよい』といった議論には与することはできない」Hのいうインフレでもデフレでもない状態とは、何を指すのか明らかでない。
Uが「インフレを抑制し、デフレに陥るのを避ける」という場合、インフレが一定の幅を持つ水準以上になるのを抑え、自民党は七月の参院選挙で敗北を喫した。
首相は橋本龍太郎から小渕恵三にバトンタッチされる。
七月三十日に発足した小測内閣は前政権の構造改革路線から景気重視型に大きくかじを切り替えた。
恒久減税を柱とした追加の二次補正予算案の動向と、経営危機のC銀を市場の人質に取られた中での金融危Hは「ある程度インフレにすること」には与しないという一方で、当面の論点であるデフレ方向にはどう対応するのかの考えは示さない。
デフレ防止にはCの責務がないかのようでもある。
インフレ時代にN銀マンとして過ごしたHのDNAには、デフレ対策の因子が刷り込まれていないようでもあった。
このデフレへのスタンスの違いが、この後の政策論争にも大きく響くことになる。
デフレ(ゼロ以下)には絶対にさせないという非対称的な政策意図が伺える。
これに対してHの「どちらでもない状態」とは、どうも対称的なゼロ。
インフレを想定しているように聞こえる。
しかし、現実にはCPIのバイアス問題(物価指数の対象品目が受ける需給両面の事情で、指数自体が実際の消費動向よりも高めに出る現象。
日本のCPIの上方バイアスは○・九%との推計がある)などを考えると、ゼロ。
インフレという一本のレートで物価水準を固定することは事実上のデフレ容認(日本ならバイアス分のマイナス○・九%固定)につながる。
これでは持続的な安定成長が見込める経済においては非現実的で、本来、望ましい物価目標は伸び率に上方方向への一定の幅を持つ水準となるはずだ。
第七章でみるように、米FRBによる「N銀の失敗」の分析では、インフレ率がプラスである間に思い切った緩和策をとらなかった点にあると指摘して機対策とが、同年の夏から秋にかけての最大の焦点となっていく。
新N銀法下での最初の政策変更は、そうした政治の変化と微妙に絡んだ九月九日に訪れた。
同日の政策委会合は、それまで「無担保コールレート翌日物を平均的にみて公定歩合水準をやや下回って推移するよう促す」としていた方針に代え、「コールレートを○・一五%前後で推移するよう」とした。
コールレート翌日物の誘導水準を明確化し、○・二五%への利下げに踏み切ったのだ。
さらに「なお書き」で、「金融市場の安定維持で必要な場合は誘導水準にかかわらず一層潤沢な資金供給を行う」旨も併記した。
この時の政策変更では、公定歩合は○・五%のままで、コールレートだけの下げだった。
政策変更としては九五年九月に公定歩合を一・○%から○・五%に下げて以来三年ぶり。
新法下でのN銀の金融政策としては、翌年二月のゼロ金利移行が注目されるが、九月九日の会合は政策委が初めて市場に意思表示をした第一歩であると同時に、以後のN銀の政策変更に影響する二つのパターンが生まれた点でも重要な会合だったと言える。
その一つのパターンは、Nの先行提案だ。
六月十二日以降四回の政策決定会合で《Nは現状維持の議長案とは別に独自提案を出し続けた。
翌日物コールレートの誘導水準を「平均的にみて○・四○%前後」(六月一十五日)「○・三五%前後」(七月十六、一十八日)「○・二五%前後」(八月十一日)と次第に提案水準を下げた。
結局、八月のN提案が議長提案を先取りした格好となった。
Nは景気が依然として下降を続けているほか、金融不安が台頭していることなどを理由として、追加緩和を提案し続けた。
金融政策による景気の下支えを重視する立場だ。
もう一つのパターンは、N銀が当初、否定的だった見解を、後になって急に覆すパターンだ。
九月九日の政策委会合で、コールレートの○・二五%引き下げに唯一反対したSはこう指摘する。
「利下げの理由は『後付け』で説明されただけ。
日本の金融市場についてどこかフワフワした不安は出ていたが、非常に危機的な状況にあるといった具体的な話は出ていなかった」確かに、N銀が金融政策を決定する上での景気判断である「金融経済月報」は、七九月と一貫して「わが国の経済情勢は全般的に悪化を続けている」と同じ表現だ。
さらにマネーサプライの動向については九月には、それまでの「伸び率鈍化傾向」が「やや一服気味」と改善傾向を指摘している。
Sは「九月に(利下げをする理由が)何かあったとするならば、証拠はないが、残っている可能性としては、(水面下で)政治的な圧力があったとしか思えない」と明かしている。
政策委の五日前、九月四日にサンフランシスコで開いた宮沢喜一蔵相とルービン米財務長官による日米蔵相会議に、N銀から副総裁のYも出席した。
日米株式相場や為替相場の不安定さが増す中で、米側から圧力をかけられたか。
それまで○・五%の金利のノリ代維持を重視していたはずのN銀の急転換に唐突感が漂ったのも事実だ。
別の委員も「副総裁のYは最初は、『緩和はやらなくてもいい』と言っていた。
財政政策で補正をやるから、その効果が出るまで待つほうがいいと。
それが蔵相会議後に一八○度スタンスを変えた。
いずれにしてもこのパターンがこの時に決まった」と振り返る。
日米蔵相会議で日本側に相当の圧力がかかったと思える理由の一つが、九月二日に表面化した米大規模ヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(TCM)の破綻劇だった。
総資産千三百億ドル、デリバティブ契約残高一兆二千五百億ドル(当時の米連邦予算総額と同規模)に達するTCMの行き詰まりは、グローバル市場を破壊するに十分だった。
TCM対策で米当局がとった手際は迅速だった。
各国当局に波及防止措置を求める一方で、米ニューョーク連邦銀行が主導して、主要金融機関による救済策をとりまとめた。
同時に、連邦準備理事会(FRB)は同月以降、一カ月連続して○・一五%ずつの利下げをして、市場資金の逼迫に備えた。
もう一つ。
結果として対米配慮説を伺わせる発言がある。
日米蔵相会議と同じ日に、日本で会見した経済企画庁長官の堺屋太一の発言だ。
堺屋は、財政出動を軸とした追加経済対策の可能性を示唆する一方で、金融緩和観測には「これ以上の利下げは投資需要を呼ぶとは考えにくい」と否定的コメントを残している。
堺屋発言がN銀の動きとズレて見えるのは、米国の圧力を受けてN銀が方向転換したと考えると、政府内の根回しが十分に行き渡っていなかったことを物語る。
それほど急転換だったとなる。
むしろ国内事情だけなら、当時は堺屋発言のような理解が自然だった。
もっとも、Hは緩和決定後の記者会見でこうした見方を否定している。
「国際的な話し合いは一切ない。
日本だけの現状をみて、あるいは先行きをみてとった措置である」。
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